連載コラム 都心*街探訪

2018年7月12日

第49回
良好な住環境「八雲・柿の木坂」

文:坂根康裕 撮影:佐藤真美

「落ち着いた街並み」を形成する要素

めぐろ区民キャンパス

東急東横線「都立大学」駅を下車。北側を走る目黒通りを渡り、左に歩くと、すぐに「ちもと」(和菓子屋)がある。大通り沿いにはおよそ似つかわしくない、純和風の味わい深い佇まいだ。名物「八雲もち」で知られるが、最近は夏場のかき氷に並ぶ行列で一層有名になったのではないだろうか。店内では、荒々しい骨材が浮き出たコンクリートの塊とガラスだけで組み立てたショーケースに、まず圧倒される。イートインのテーブルにセットされているのは、カッシーナのロングセラー「CAB(キャブ)アームレスチェア」。優雅で洗練された空間の、その世界観の大きさが印象に残る。

急行停車駅「学芸大学」と、特急も停まる「自由が丘」駅に挟まれた「都立大学」駅の周辺は、賑わいこそそれらに劣るが、「ちもと」のような流行り廃りに巻き込まれず、時間をかけて愛され続けてきた真の名店が多い、そんなイメージがある。何より、街そのものが落ち着いた景観だ。住所でいうところの「八雲(やくも)」「柿の木坂」。用途地域は、もっとも規制の厳しい第一種低層住居専用地域に、住宅地のほとんどが該当する。なかでも「八雲4丁目」は、目黒区で2つしかない「まちづくりガイドライン」に指定。敷地面積の最低規模は150m²、壁面は道路から1m以上離す等、その基準の高さに驚かされる(ちなみにもうひとつは、代官山エリアに位置する「青葉台一丁目」地区)。加えて、格子状に規則正しく走る道路、街の真ん中を貫通する車道には必ずと言っていいほど両側に歩道が設けられている等、閑静な住宅街のお手本のような街割りだ。

駅名由来の「都立大学」跡地は、現在「めぐろ区民キャンパス」(八雲1丁目)に。巨大な図書館やコンサートホール(「パーシモンホール」)を地下施設にしたことで、大きな空と憩いの芝生広場を確保した。建物はガラス張りのモダンなデザイン。刷新されても静かなままで、美しさを増した珍しい街並みではないだろうか。

「八雲・柿の木坂」の地勢(地形の意)は、目黒通り近くを東西に横断する呑川と柿の木坂の中ほどを縦断する呑川の2つの緑道がえぐれた格好で、それ以外は標高35m以上の高台地が多い。両者の差は10mを超すところもあり、上り下りは場所によっては激しいといえる。だからだろうか、八雲4丁目〜5丁目界隈の平坦で大きな区画の家並みがひときわ穏やかに映る。

「住む街」としての価値、将来性

八雲4丁目の街並

古くから人が住んだ都心には、「地名由来は諸説ある」ケースが多い。柿の木坂も例外ではないのだが、八雲だけは別。「氷川神社」(八雲2丁目)が祭るスサノオノミコトが歌った和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」(盛んにわき起こる雲が、八重の垣をめぐらしてくれる。新妻をこもらせるために、八重垣をめぐらすことよ。あのすばらしい八重垣よ)が由来(目黒区ホームページより引用)。神社仏閣は、時間軸に奥行きをもたらす。江戸の大火、関東大震災、空襲と三度刷新を余儀なくされた東京の街は、おのずと「由緒」が街の特徴のひとつになるからだ。

都心部やターミナル駅周辺は、「山一ショック」があった1997年前後を境に、高度利用が促進された。超高層が建設される再開発プロジェクトが象徴するように、「経済(資産価値)が1点に集中する傾向」に拍車がかかり、いまだ留まるところを知らない。だがいずれ、それも終焉を迎えるのでは。実力以上に振れ過ぎた相場は必ず戻る。それは歴史が証明していることだ。本当に暮らしやすい環境はどこにあるのか。そんな需要が市場で高まりはじめたら、「八雲」や「柿の木坂」の様な立地は、希少性さえ帯びていくのではないだろうか。