連載コラム 都心*街探訪

2016年9月15日

第27回
時代に合わせて更新し続ける「神田」

文:荒井直子 撮影:佐藤真美

日本橋と並ぶ、長い歴史と深い文化

神田神保町の街並み

千代田区といえば言うまでもなく東京のど真ん中。中央部には皇居、そのまわりには国の機関が集まり、東京のみならず日本の中枢ともいえるエリアである。もちろん、地価のレベルは日本トップクラス。ゆえに、どことなく別格感があり、敷居の高いイメージがあるかもしれない。そんな千代田区の中で異彩を放つのが神田エリアだろう。

千代田区の北東部に位置する神田は、隣接する中央区日本橋エリアと並び江戸時代初期から賑わっていた歴史ある町。商業・金融の町である日本橋に対し、神田はエリアによって町の機能がわかれており、須田町や連雀町といった商人地、紺屋町や大工町といった職人地、そのほかの多くは武家地になっていた。また、現在の神田須田町交差点の南西側一帯には昭和初期まで広大な青果市場があり、中央部から東エリアは町人地らしい賑わいを見せていたという。神田には生粋の江戸っ子を生んだ町というイメージがあるかもしれないが、それはおそらくこのあたりの印象かもしれない。

一方、武家屋敷街だったエリアは、現在の神田淡路町付近より西側。江戸時代初期に神田川を開削するまでは隣接する文京区湯島・本郷台地と地続きの高台だったため、とくに現在の神田駿河台付近は戦前まで山の手の住宅街らしい景色が残っていたという。

再開発事業で新たな魅力も

大型再開発プロジェクト『ワテラス』

現在の町の姿にはその成り立ちほど大きな差は見られないが、エリアごとに多少の特色は残っている。JR・東京メトロ銀座線「神田」駅周辺は商人や職人が暮らしたエリアらしく、比較的小ぶりの雑居ビルが多い。そして数少ない下町らしい風情を残すのが、東京メトロ丸ノ内線「淡路町」駅、東京都営地下鉄新宿線「小川町」駅を最寄とする神田淡路町・神田須田町付近。戦火を逃れた希少なエリアで、「かんだやぶそば」や「神田まつや」といった老舗の蕎麦屋をはじめ、昭和初期の風情ある木造建築で知られる「いせ源」「ぼたん」などの老舗料理店が路地裏に点在している。「近江屋洋菓子店」の昭和レトロな雰囲気も、平成の世からみるとかえって新鮮だ。

JR「御茶ノ水」駅方面の高台には住宅街の風情はほとんど残っていないが、武家屋敷跡が教育機関や医療機関になった関係から、大学や病院が数多く点在。学生が多いこともあり、神田駿河台下の神田神保町エリアの書店街とともに、いつ来ても活気のある町となっている。

歴史や文化を継承する風景も残ってはいるが、超都心がゆえに、そのほとんどはオフィスビルなどの中高層建築にとってかわられた神田エリア。1990年初頭のバブル経済崩壊後に付近の人口は徐々に減少。このエリアの小中学校は統廃合が進み、活気が失われていた時期もあった。しかしながら、2000年代に入ると再開発が進み、また新たな表情が加わっている。

代表的なのが、千代田区立淡路小学校跡地に2013年に誕生した「ワテラス」だ。ここは、住居やオフィス、商業施設、広場などからなる複合施設。もっとも大きな特徴は、地域のコミュニティ活動に力を入れている点にある。ホールやギャラリーなどのコミュニティ施設のほか、地域活動やボランティアに参加することを条件にリーズナブルな家賃で入居できる学生向けマンションが併設されるなど、地域の結びつきを大切にする神田ならではのつくり。月に2回行われるマルシェやガーデニング、季節のお祭りなどイベントも多く、地域コミュニティが希薄とされる都心とは思えない場となっている。こうした町の更新の仕方が可能なのは、地域で助け合って生きてきた江戸の町人文化が土壌にあるからなのだろう。