連載コラム 都心*街探訪

2016年7月14日

第25回
“歴史”と“今”が混在する「本郷」

文:荒井直子 撮影:佐藤真美

江戸時代の二大勢力は、今もこの地のシンボル。

「東京大学」赤門

前回、訪れた市谷が江戸城の西側を守る武家町だったとすれば、本郷は江戸城の北側を守るための重要な拠点であり、市谷と同じく江戸時代は旗本などの武家屋敷が立ち並ぶ町だった。とはいえ、その多くが今で言うセカンドハウスのような役割の「中屋敷」や、別荘兼避難所として使われていた「下屋敷」。多くの諸大名が江戸城至近に住居である「上屋敷」を構えていたことからも、現在の東京においては都心と位置付けられる本郷は、江戸時代にはまだ郊外の色が濃かったことがうかがえる。

そんななかで珍しく上屋敷を構えていたのが、水戸藩徳川家、加賀藩前田家の両家(当初、前者は中屋敷、後者は下屋敷だったが、のちに上屋敷に格上げされた)。ともに、当時の力が容易に想像できるほどの広大な敷地を持ち、江戸時代には本郷の象徴ともいえるお屋敷だったであろう。

明治維新後、水戸藩徳川家上屋敷は政府の砲兵工廠を経て民間に払い下げられ、敷地の約半分は後楽園球場に。残り半分の庭園は残し、現在は小石川後楽園として広く親しまれている。もうひとつの藩邸である加賀藩前田家の上屋敷跡地には、明治10年に東京大学が設立された。のちに、隣接していた水戸藩徳川家の中屋敷跡地など周辺の藩邸跡地にまで拡張され、現在の姿になった。

このように、二大藩邸跡地は、「東京大学」と「東京ドームシティ」として、現在もこの地のシンボルとして変わらない存在感を示している。

明治以降に東京大学が本郷に設置されてから、武家町だった姿が次第に様子を変え、学者や学生の住む学問の町へと姿を変えていく。もっとも、江戸時代に政府の最高学府「昌平坂学問所」が置かれていたこのエリアには元来、教学の礎があったことは間違いない事実だろう。現在でも都内屈指の文教エリアと言われる文京区は、こうした歴史の元に築かれたものだといえる。

変わらない風景と、変わりゆく街並み。

老舗旅館が佇む本郷の街並み

ここ数年、都内の史跡を巡る町歩きを楽しむ人が増えているが、本郷はまさにうってつけの町だろう。何しろ、東京大学の赤門など江戸時代の史跡ばかりではなく、樋口一葉をはじめとした明治以降の文人ゆかりのスポットが町中に点在し、知的好奇心をくすぐる場所が数多くある。関東大震災や東京大空襲の戦火を逃れた建物が残っているケースもあり、タイムスリップしたような気分に浸れる場所も多くある。

その代表ともいえるのが、本郷5・6丁目にある老舗旅館「鳳明館」。坂を上がった閑静な住宅街のなかに建つ純和風建築の本館は、登録有形文化財に指定されているほどの建物。荘厳で堂々とした佇まい、光の陰影が独特の雰囲気を醸し出す静謐なエントランスは、映画のセットのなかにでも紛れ込んだような錯覚を起こさせる。本郷のなかでも幹線道路から奥まり、高台の住宅街にあたるこの5丁目、6丁目付近にはこうした歴史的建造物や古いお寺が多く、歴史の重みを感じさせる風景がいたるところに見受けられる。

こうした変わらない風景が日常的にある一方、やはり時代の波を避けられないものも多くある。同じ旅館でいれば、本郷1丁目の老舗旅館「朝陽館本家」は、今年3月に112年の歴史に幕を閉じた。手塚治虫が籠って原稿を描いたこともでも知られるこの旅館は今後、高層マンションに建て替えられる予定だという。

この朝陽館のある本郷1丁目や2丁目付近は、とくに近年、高層マンションが次々に建てられ、大きく変貌しているエリア。このあたりは白山通りや春日通りなどの幹線道路も近く、また、東京メトロ丸ノ内線「本郷三丁目」駅のほか、都営三田線・大江戸線「春日」駅、東京メトロ丸ノ内線「後楽園」駅、JR「水道橋」駅も利用できる。こうした利便性の高さは、現代においては街が変化していく大きな理由のひとつになっているのだろう。