連載コラム 都心*街探訪

2015年5月14日

第11回
「恵比寿」の時代背景

文:坂根康裕 撮影:富谷龍樹

再開発の先駆け

「恵比寿ガーデンプレイス」

「都立広尾病院」(恵比寿2丁目)の南方に「豊澤遺跡」という文化財がある。縄文時代の土器がたくさん出土したようで、辺りは古くから人が住んでいたことが伺える地域として知られている。丁度この界隈から「恵比寿ガーデンプレイス」に向かって、地面は急激に隆起していく。関東大震災のときは恵比寿、広尾あたりは火災も含め被害がなく、以後急速に街が発展していったということである。

地名の由来そのものでもある「恵比寿がビール工場で栄えた街」であることはあまりにも有名な話だろう。工場から運搬する際に用いられた坂道が通称「ビール坂」。「恵比寿橋」(恵比寿3丁目)から工場跡地にできた「恵比寿ガーデンプレイス」へ向かうアプローチである。

「恵比寿ガーデンプレイス」は37階建てのオフィス棟に、住居棟「恵比寿ガーデンテラス壱番館(32階建て)弐番館(13階建て)」、そして商業施設から構成される複合再開発プロジェクトである。特徴は3つほどある大きな広場。施設中央の広場では、マルシェや屋外カフェをはじめ、様々なイベントなどが行われる。地域の枠にとらわれず、季節に合わせて食や文化を発信し続けるなど「自由に人が集まれる場所」という点で、建物が密集する都市部においてはきわめて貴重な空間だといえよう。「恵比寿ガーデンプレイス」竣工後、東京の都心部では数多の再開発プロジェクトが発足したが、少なからずコンセプト立案等に影響を与えたのではないだろうか。

自衛隊基地は元「エビスキャンプ」

恵比寿駅西口商店街

「恵比寿」名が付く所在地は、山手線より東側の「恵比寿」1丁目〜4丁目、同西側の「恵比寿西」1丁目・2丁目、「恵比寿南」1丁目〜3丁目までがある。恵比寿西と恵比寿南の間には駒沢通りが走る。恵比寿南は隣接する目黒区三田地域と一体に連なった高台地である。同エリア西側には自衛隊が基地を構えている。戦後は進駐軍駐屯地「エビスキャンプ」であった。オーストラリア軍が主体のイギリス連邦軍が滞在していたようだ。所在地内の交通機関はJR山手線「恵比寿」駅、東京メトロ日比谷線「恵比寿」駅がある。「恵比寿」は住みたい街として知られているが、前述した大規模施設以外にも、恵比寿西エリアを中心とした多くの飲食店がその魅力の一端になっているようだ。渋谷や原宿、代官山のように「若者」や「ファッション」といった特色に偏るわけでもなく、六本木や赤坂のように大多数の人々が集まる巨大繁華街でもない。高台の住宅エリアと駅周辺の程良い数の飲食店が暮らしに心地よくマッチする、それこそが恵比寿ならではの魅力の源泉なのではないだろうか。