連載コラム 都心*街探訪

2016年8月15日

第26回
都心とは思えない大空が広がる「芝公園」

文:荒井直子 撮影:佐藤真美

400年以上、芝の地を見守る増上寺

大門

東京タワーのお膝元であり、港区役所の所在地でもある「芝公園」。超高層ビルが林立していてもおかしくないような都心の中の都心といった場所だが、実際に訪れてみると驚くほど広い空が広がっている。その理由はといえば、このエリアの敷地の多くを占める増上寺の存在にほかならない。

増上寺の歴史は非常に古く、1393年に現在の千代田区平河町付近に建立され、芝の地に移転してきたのは1598年。移転前に徳川家康によって菩提寺に選ばれ、徳川家の発展とともに日本有数の大寺院へと成長していった。最盛期には25万坪もの敷地を持ち、多数の子院や100軒を超える学寮(僧侶が寄宿して勉強する場所)を併設。多いときには学寮の僧侶が常時3000人いたともいわれ、その存在感たるや、今の比ではなかっただろうと思われる。

明治維新後に敷地の多くが新政府の手に渡り、徐々に規模が縮小されていった。全盛期を考えると今の地図でいえば、北は御成門の交差点、南は芝公園の競技場付近、東は表門の大門、西は東京タワー周辺まであった為、ずいぶんとこぢんまりとしてしまった感もある。とはいえ、敷地の広さはもちろん、本堂や門の大きさは、現在でもひときわ目立つ大寺院であることは間違いない。今も年間約100万人の参拝者が訪れ、近年は外国人観光客の姿も目立つようになっている。

増上寺を挟んで、大きく異なる町の雰囲気

芝丸山古墳から増上寺

このエリアの空を大きく見せているもうひとつの存在が、増上寺を囲うように配された芝公園だ。明治維新後に増上寺境内が芝公園として整備されていったが、戦後の政教分離政策によって寺と公園が切り離され、結果的に現在のような環状公園になった。広場や児童公園、野球場やテニスコートもあり、まさに都心のオアシス的存在。なかでも増上寺の西側、東京タワーの足元は大木が生い茂る渓谷になっており、近郊の低山にトレッキングに来たような気分になる場所だ。秋にはモミジが咲き誇り、風情豊かな景色が楽しめる場所としても有名だ。公園内には古墳や貝塚などの史跡も残り、増上寺の広い敷地ともあいまって、都心のなかにぽっかりとあいたエアポケットのようになっている。

増上寺や芝公園に流れるゆったりとした時間とは相反し、その周辺には都心らしい賑やかオフィス街が広がっている。とはいえ、増上寺の東側と西側ではずいぶん街の印象が異なるのもこのエリアの特徴。東側にあたる都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門」駅、JR・東京モノレール「浜松町」駅周辺はフラットな土地に高層のオフィスビルや飲食店が多く立ち並び、ビジネス街らしい活気に溢れている。一方、都営地下鉄三田線「芝公園」駅・「御成門」駅のある日比谷通りから西側は、東京メトロ日比谷線「神谷町」駅方面に向かってゆるやかな坂道が続いている。坂をのぼった高台には大使館や私立の学校、落ち着いた佇まいの集合住宅が立ち並び、山の手の風情を感じさせる。

住所でいうところの芝公園周辺は、北は虎ノ門、西は六本木、東は湾岸と、再開発により超高層ビルが今後も増えていくエリア。周辺が近未来的な景色に塗り替えられていくなか、増上寺と芝公園の存在によって、このエリアはいつまでも変わらない風景が保たれていくのだろう。