連載コラム 都心*街探訪

2015年4月14日

第10回
知名度を上げた「豊洲」

文:坂根康裕 撮影:富谷龍樹

都市再生の先駆者

都心方向から豊洲を臨む

近年、臨海地区で最も変貌を遂げたエリアのひとつが豊洲である。石川島播磨重工の造船所をはじめ、その他工場、倉庫等が集積した埋立地の風景はわずか数年で見違えた。今では「住む、働く、憩う」場として昼夜問わず人が集まる街に生まれ変わっている。有楽町線「豊洲」駅開業は1988年。ボウリング場やゴルフ練習場までも併設した日新製糖運営「ドゥスポーツプラザ晴海店」が晴海通り沿いにできたのが1972年である。ダイエットブームが砂糖の消費量を抑えたのかどうかは知る由もないが、食品メーカーが健康増進のために新事業をはじめた歴史が時代の趨勢とするならば、2000年代に入って拍車がかかった都市再生事業も時代の象徴そのものであろう。豊洲が先駆的存在であり続ける理由は、都心への利便が良いからに他ならない。同店は現在、造船場跡地にできた「アーバンドックららぽーと豊洲」内で「ドゥスポーツプラザ豊洲」として営業を継続。ちなみに晴海店と名付けられたのは当時知名度があまりにも低かったから。

豊洲は先行して再開発された1丁目から5丁目までと、築地市場移転や大型観光施設などが計画されている6丁目まで存在する。「豊洲」所在地には上記有楽町線とゆりかもめの「豊洲」駅、ゆりかもめ「市場前」「新豊洲」駅がある。特筆すべきは水上バス「TOKYO CRUISE(東京クルーズ)」。造船ドッグ跡地が発着所。浅草とお台場の2ルートが設定されている。海上から見る都心の風景は、普段眺めるそれとは違ったものに映る。江戸時代、水上交通は運輸の要で隅田川は大きな役割を果たしたという。見慣れないアングルからの街並みとともに、歴史に思いをはせてみるもよし。東京の楽しみ方が増えるかもしれない。

広がる価値観、多様な世帯

整備された豊洲の街並み

豊洲は、不動産の資産価値が上がったエリアとしても注目された。臨海地区は、都心に近い割に手の届きやすい価格でマイホームが買える。上昇したとはいえ、同距離を西に向ければ、まだまだ相対的な割安感はある。新しく整備された街は、歩行者に優しく、景観的にも優れている。小さな子どものいるご家族にとって、湾岸エリアは通勤にも便利で子育てもしやすい場所として人気が上がっているようだ。都心回帰といえばシニア世帯が中心、タワーマンションといえば世帯人数二人以下が中心。そんな市場の通説を打ち破ったのも同エリアならではの現象だ。都市再生の先駆者である豊洲は、東京の新しい街づくりをリードした地域として記憶に残る地名となるだろう。