連載コラム 都心*街探訪

2015年3月16日

第9回
都心の住宅街「代官山」

文:坂根康裕 撮影:富谷龍樹

異なる2つのランドマーク

旧山手通り

代官山エリア唯一の駅舎、東急東横線「代官山駅」開業は1927年(昭和2年)である。偶然にも駅前に立地した「同潤会渋谷(代官山)アパートメント」竣工も同年。「財団法人同潤会」は関東大震災(1923年)の復興を目的にその翌年に設立。以来、都心部を中心に16棟の集合住宅「同潤会アパート」を建てた。前出の建物は1996年に解体。現在は「代官山アドレス」(2000年竣工)に姿を替えている。駅直結のペデストリアンデッキ、商業と住居が混在した複合再開発、超高層タワーマンションと話題の要素を多く含んだプロジェクトであり、建て替え当時は市場から高い注目を浴びた。

一方、旧山手通り沿いに広がる「代官山ヒルサイドテラス」は数棟の低層建築物からなる集合建築である。1967年から1992年まで四半世紀もの時間を費やして完成した。代官山はファッションをはじめとする洗練された雰囲気のショップやカフェ、レストランが点在する街として知られているが、それも緑豊かな落ち着きのある邸宅街としてのイメージの上に成り立っているものであろう。都心でありながらも他では得難いゆとりのある景観が特徴的で「代官山ヒルサイドテラス」はまさにその象徴といえる存在である。

25年の歳月をかけ、都心でも稀な優れた環境創造を成し遂げた「代官山ヒルサイドテラス」。かたや甚大な災害を教訓に「耐久性」を掲げながらも「同潤会渋谷(代官山)アパートメント」は70余年でその生涯を終え、跡地にわずか4年で完成した超高層タワー「代官山アドレス」。事業経緯も建築としての個性もまったくの好対照に映るが、いずれもこの街のランドマークである。

代官山の中心ゾーンはおおむね渋谷区代官山町、猿楽町、鉢山町あたりになろうか。旧山手通りを境に目黒区青葉台に切り変わるが、その南西側に位置しながらも「代官山ヒルサイドテラス」のある一画は渋谷区に含まれる。

広がる価値観、多様な世帯

代官山アドレス

2011年12月、書店やカフェなどを併設した「代官山T−SITE」がオープン。以来、曜日時間帯を問わず、来街者が増えたように感じる。約4000坪もの敷地を贅沢に使った同施設は、ゆったりと開放的な空間が魅力。時間の経過を忘れてしまうほど居心地が良い。ファッションアイテムを探す楽しみに加え、空間や時間そのものを楽しむこともできる街になりつつあるようだ。ベビーカーを押す家族連れの姿を見かけることも珍しくなくなった。「代官山アドレス」隣接の公園で子どもたちを遊ばせながら親たちが話しているのを見ていると、竣工当時はまったくといっていいほど人気(ひとけ)がなかったスペースだったのが嘘のようだ。