連載コラム 都心*街探訪

2017年2月16日

第32回
いつの時代も期待を裏切らない「浅草」

文:荒井直子 撮影:佐藤真美

江戸随一の繁華街として繁栄

浅草寺(雷門)

常にいたるところで大規模な再開発が進み、日々町の更新が続いている東京都心。どこも最先端でおしゃれになっていくことは変わりないが、ともすると似たようなショップや飲食店が入り、既視感を抱くこともある。そんな都心の姿に物足りなさを感じる人なら、東京下町・浅草の姿は逆に、新鮮にうつるだろう。

いうまでもなく浅草のシンボルといえば今も昔も浅草寺であり、その起源は7世紀までさかのぼるとされている。江戸幕府が開かれる前に徳川家康によって祈願所に定められたことでよりいっそう多くの参詣者を集めることになり、浅草は浅草寺の門前町として大いに栄えることになった。

その後、門前町から繁華街へと発展していった背景には、現在の蔵前の地に米蔵ができたことや、現在の日本橋・東日本橋付近に商人が集まっていたことなど諸要因あるが、決定的になったのは1657年の明暦の大火後に現在の人形町にあった遊郭・吉原が移転してきたこと、また、1841年に同じく人形町にあった芝居小屋・中村座の消失を機に猿若町として芝居の町にしたことが、その後の浅草の持つ特性に大きく影響したことは間違いないだろう。

こうして江戸随一の繁華街に発展していった浅草は、明治時代以降も東京一の観光地として発展し続ける。浅草寺の境内は東京で初めての公園に認定され、浅草寺の裏手にあったさまざまな興行施設は西側にまとめてうつされ「六区」と言われるようになり、映画や演劇など大衆娯楽の最高峰に。関東大震災後は松竹が本格的に浅草で興行を開始し、松竹歌劇団の本拠地にもなった。映画館、演芸場が連なり、戦前には東京有数の繁華街として発展した。

新しい魅力も加わり、奥深さが増進中

まるごとにっぽん

戦後になると一時、TVの普及や娯楽の多様化による映画館の不振や、若者文化の中心地が新宿や渋谷に移ろうことでその勢いに陰りが見え始めたこともあった。しかしながら、つくばエクスプレスの開業とそれによる周辺の再開発、また、隣接する墨田区にできた東京スカイツリー、そして外国人観光客の増加など複数の要因が絡み、近年はまたその存在感を取り戻している。

東京メトロ銀座線・都営地下鉄浅草線・東武線「浅草」駅周辺は、日本最古の地下商店街や神谷バー、雷門と仲見世通りなど昔から変わらぬ浅草の姿を見せつつ、少し離れたつくばエクスプレス「浅草」駅周辺は現在も再開発が続く。落語や漫才の殿堂ともいえる浅草演芸ホールや東洋館は健在ながら、その斜向かいにあった楽天地浅草ボウルと浅草東宝会館の跡地が2015年末に日本全国の名品を一気に楽しめる観光施設『まるごとにっぽん』に生まれ変わり地域に新しい風を吹き込んだ。また、増え続ける外国人観光客を意識した宿泊施設も増加中。老舗が軒を連ねるすしや通りの商店街に2015年末にオープンした『BUNKA HOSTEL TOKYO』を筆頭に、浅草の町に変化をもたらしている。

まるごとにっぽんやBUNKA HOSTEL TOKYOがある浅草の西側エリアは、つくばエクスプレスの開業でマンション建設も活発になった地域。超高層マンションやコンパクトマンションも増え、重層的な浅草カルチャーに魅力を感じる幅広い年代の人たちが集まるようになった。創業何十年という老舗飲食店や作家や芸人が通った名店も多いうえ、再開発と観光客の増加による新店も増え続ける浅草。住んでみてこそ、その深みに取りつかれそうな気がする。