2018年5月15日
第47回
グローバルシティ“UENO”になった、歴史と文化の町『上野』
文:荒井直子 撮影:佐藤真美
外国人観光客の姿が日常に
幹線道路脇に大型バスが連なり、その中からは訪日観光客が続々と降りてくる――。都心の商業地や観光地ではすっかりお馴染みになったこの風景が、まさに日常的にある町『上野』。今では同じ台東区内の浅草と並び、東京が世界に誇る観光地として圧倒的な知名度を持つようになった。実際、上野・浅草を擁す台東区の外国人観光客の数はうなぎ上りに増え続けており、区が発表しているデータによると、2016年の年間外国人観光客数は対前回比約57.8%増の830万人。この増加率が押し上げる形で区の観光客総数も対前回比約12.4%増の5061万人に。なかでも上野は、観光客の滞在時間の統計において浅草を抑えて区内ナンバー1の約4時間。東京を代表する観光地として不動の地位を確立したといえるだろう。
その大きな要因になっているのが、上野のシンボルともいえる上野恩賜公園の存在だ。赤ちゃんパンダ・シャンシャンの誕生で大いに話題になった上野動物園を筆頭に、東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館などの多数の文化・芸術施設があるうえ、不忍池や広い空を眺めながらゆったりと散策も楽しめる。そしてもちろん、春に咲く見事な桜はあまりにも有名だ。
この上野恩賜公園はもともと、江戸時代に建てられた徳川家の菩提寺のひとつ、寛永寺の敷地だった場所。寛永寺は当時、同じく菩提寺であった芝・増上寺と並び江戸でもっとも格式の高い寺。広大な敷地を持ち、最盛期には支院も含めると現在の上野恩賜公園の2倍近い敷地を持っていたほどだったという。しかしながら幕末に起こった戊辰戦争のひとつである上野戦争で敷地の多くを焼失。焦土となった土地を明治時代に入ってから新政府が都市公園として整え、現在の上野恩賜公園の姿につながっていった。
一方、上野戦争で甚大な被害を受けた寛永寺は、元の敷地の北側にあった支院、大慈院があった場所に移転。規模は大幅に縮小されたが、今も徳川家15代将軍のうち6人が眠り、江戸から東京、そして今に至る町の変化を静かに見守っている。
東京の北の玄関口はますますビッグターミナルに。
寛永寺が建てられるまでは江戸市中のはずれにあたり、人口も少ない静かな町だったという上野。その町が寛永寺によって門前町として発展していくことになるのだが、上野の町を今のような存在に押し上げたもうひとつの要因は、『上野』駅の存在にほかならない。上野駅は日本初の私鉄「日本鉄道」(のちに国有化)によって1883年に開業。当時は上野〜熊谷間のみだったが、徐々に線路を北に伸ばし1891年には上野〜青森間、現在の東北本線全線が開業した。もともと江戸市中の北端であったこと、そして北関東・東北につながる鉄道が整備されたことから、上野は次第に“東京の北の玄関口”として発展。今では、JR『上野』駅だけでも山手線・京浜東北線・宇都宮線・高崎線・常磐線・上野東京ラインが通り、新幹線においては東北・山形・秋田・上越・北陸、北海道の6つの路線の停車駅。東京都心のなかでも屈指のビッグターミナル駅に成長した。また、近くには京成電鉄線『京成上野』駅のほか、東京メトロ銀座線・日比谷線も『上野』駅も通り、メトロそれぞれの隣駅『上野広小路』駅・『仲御徒町』駅も上野エリア。さらに、徒歩で乗り換えられるほどの距離に都営地下鉄大江戸線『上野御徒町』駅や『新御徒町』駅も存在。不動産の資産価値でもっとも重要とされる交通利便性においてこれほど満たされたエリアは、東京都心のなかでもそうそうないだろう。
こうした交通利便性の良さから、通称“アメ横”など古くからの商店街や大型商業施設が集中し、駅周辺は雑多な繁華街という印象が強かった。しかし近年、徐々に新しい風も吹きこまれている。たとえば、上野公園に隣接していた西郷会館が全面改装し、2012年に飲食店ビル「UENO3153」がオープン。これまでの昭和レトロな姿を一新させ、全面ガラス張りのモダンな商業施設になった。また、上野松坂屋の南館も建て替えられ、「上野フロンティアタワー」として再出発。これまで上野エリアにはなかったシネマコンプレックスや、パルコ上野店「PARCO_ya」が開業し、新しい客層を取り込んでいる。
こうした再開発ともあいまって、不忍池を望む静かなエリアを中心に新しいマンションも増え続けている。外国人からの人気が高い“谷根千”にもつながる上野は、高い利便性を持ちながら住環境に恵まれたエリアも思いのほか多い。歴史と文化を日常的に楽しみながら、都市暮らしならではの高い利便性を兼ね備えた“グローバルシティ・UENO”。今後、若い世代からも評価される町になるような気がした。
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