連載コラム 都心*街探訪

2015年8月14日

第14回
六本木とのつながりが強い赤坂「檜町」

文:坂根康裕 撮影:富谷龍樹

歴史を塗り替えた新事実

檜町公園へ下る「檜坂」

都内有数の繁華街「六本木」。かつてここは六本木交差点の南側に偏って展開する商業地区であった。その北側は「米軍基地(後に「防衛庁」)」の広大な敷地があり、街並みが寸断されていたからである。今でも外国人の多い酒場はその名残と思われ、イメージ形成の上では少なからず影響を及ぼす施設だったといえるのかもしれない。果たしてその土地は、大手デベロッパーの手によってダイナミックに様変わりする。2007年開業「東京ミッドタウン」は、都内で最も高い地上約248メートルのオフィス棟をはじめ、商業、ホテル、住居などが混在した大型複合施設だ。なかでも人々を驚かせたのが約1,880uもの広さを有した「芝生広場」。オープンから8年が経過した今ではヨガ教室など屋外イベントスペースとして幅広く活用されると同時に普段は憩いの場として多くの都民に愛用されている。

軍事施設の前は長州藩毛利家の御屋敷であった。現在、広場とつながる「檜町公園」はその庭園を継承するものである。建造物にヒノキが多く使われていたことから「檜屋敷」と呼ばれ、その名は今に受け継がれている。

都市再生の名のもと、再開発が着工したのは2004年のこと。このとき大名屋敷跡地ならではの江戸時代の貴重な埋蔵物に加え、さらにその下層から旧石器時代のナイフ形石器が出土した。縄文時代を遥かにさかのぼること、およそ3万年前。当時の狩猟民族の住居の痕跡が見つかったわけだ。わずか10年ほど前、東京の歴史が大きく塗り替わったとは!何とも不思議な気分にさせられるのは私だけだろうか。土地の有効活用をして都市の発展につなげようと大規模開発が取り行われたわけだが、それを機に知られざる事実が発見されたと考えると、過去を伝え未来を創造することが現代の使命なのか、とあらためて思い知らされる。

ミッドタウン北側外構の一部には、毛利家屋敷の石組溝の石を再利用している。さらに北に向かえば、わずか2分足らずで旧乃木邸がその厩舎とともに保存されてある。各時代の面影を今に残す、貴重な空間が集まる一画である。

多様な個性を有する「赤坂」

旧乃木邸敷地内にある「厩舎」

檜町という正式名称が現存するのは前出の「都立檜町公園」のみ。面積は約1.6ヘクタール。所在する赤坂9丁目は、千代田線「乃木坂」駅と都営大江戸線「六本木」駅に接する。日比谷線「六本木」駅とは地下通路でつながっている。

9丁目まで所在する「赤坂」は、港区の中でもかなり広域にわたるアドレスといえよう。同じく7丁目まである「六本木」と「南青山」も広さでは劣らないが、「赤坂」は3丁目の「赤坂見附」駅周辺繁華街や1丁目の複合再開発「アークヒルズ」も含まれ、じつに多様な印象が混在しており、9丁目はどちらかといえば、前述の通り六本木とのつながりが強いロケーションといえる。