連載コラム 都心*街探訪

2016年4月14日

第22回
「碑文谷」で巡る<ハレとケ>

文:坂根康裕 写真:佐藤真美

四季、行事の展開

円融寺

「碑文谷」と書いて「ひもんや」。はじめのひと文字だけなら「いしぶみ」と読む。目黒区の中央、やや西寄り。東急東横線「学芸大学」駅の南西に位置し、街の真ん中を目黒通りが横切る。都心から城南にかけてしばしば見られる地盤の起伏は、ここにおいても例外ではないが、南北に走る尾根道「環状七号線」を西端に東へ下る斜面はいたってなだらかである。

かつて、この辺り一帯は竹藪の広がる景色だったという。それは自由が丘辺りまで連なっていたようだが、隣接する「鷹番」は鷹狩に訪れる将軍のための番人が住んでいたことから命名されたことや、とりわけ碑文谷には神社仏閣等歴史ある施設が集積していることから古くから地域の要所であったと推察する。

一丁目には、23区最古の木造建築を有する「円融寺」、著名人が挙式を挙げることでも知られる「サレジオ教会」が。ともに幼稚園を営むが、スクールカラーは異なるらしく、それぞれに人気があると聞く。三丁目には「碑文谷八幡宮」。境内には地名のもととなった「碑文石」がまつられてある。六丁目は野球場やテニスコートを併設する敷地面積4万平米超の広大な「碑文谷公園」が有名。敷地内の「弁天池」でボートを漕ぎ、ふれあい広場では小動物(うさぎやモルモット)に触れ、あるいはポニーに乗る、などといった都心に程近い場所とは思えないような非日常的なさまざまな体験が可能だ。

主だった施設をざっと紹介したわけだが、ここでことさら書き記しておきたいことはその「ハレとケ」の見事なまでの展開である。毎年新しい園児が誕生する春、目黒通りと並行して街を横断する「碑さくら通り」はピンク一色に。秋には八幡宮の祭り、年の瀬は教会の聖夜(クリスマスイブ)、そして円融寺の除夜の鐘。季節の風景やイベントを楽しみに人が集ってくる。子どもたちは動物たちの触れ合いも思い出に。大人たちは年とともに増えた自由な時間をスポーツ施設などで過ごす。ハレとケをめぐり、豊かな自然もまた相まって、様々なエピソードが個人の記憶に残されていく。それが無意識にできる街が碑文谷である。もとより普段は落ち着いた住宅街だ。大きな敷地に平屋建ての家屋がいまだ散見できる。きまってそのようなお宅では庭を竹藪が覆う。原風景の片鱗を垣間見ることができるのである。

現代の移ろい

ダイエー碑文谷店

目黒区碑文谷は一丁目から六丁目まで存在する。四丁目までが目黒通り南側に、五丁目と六丁目がその北側。所在地内に鉄道駅は存在しない。都市再生の流れにあって、駅前周辺で見られるダイナミックな変化が無いのは、鉄道利便が理由のひとつにあるのかもしれない。とはいえ、小ぶりなゴルフ練習場が数か所あったのが、分譲マンションに変わるなどそれなりに開発が進んでいるのも事実だ。

鉄道駅がない代わりに、バス交通は著しく快適である。朝の通勤時間帯は2〜3分に一本の頻度で「目黒駅-碑文谷八幡宮」間を往復。丁度その時間帯は目黒通りの一車線がバス専用レーンになるため、通行は思ったほど滞らない。「バス便は時間が読みにくい」との固定観念がある方は、実際使ってみると思いのほか利便の良いことに驚くだろう。

世田谷区など周辺地域から広く人が訪れる商業施設に「ダイエー碑文谷店」がある。マスコミのニュースで景気や物価などが報じられるときに都市部のスーパーの象徴のような位置づけで取り上げられることが多かった同店も、イオングループになったことからか、2016年5月に閉店予定。再開時期は未定だそう。40年超の長きににわたり、たくさんの人々に愛されてきた歴史の幕が下されようとしている。現代にできた名所ほど盛衰のサイクルは短いのかもしれない。