連載コラム 都心*街探訪

2015年6月15日

第12回
「目白」の歴史と残された自然

文:坂根康裕 撮影:富谷龍樹

JR山手線「目白」駅は開業130周年

JR山手線「目白」駅

電車か車か。普段の暮らしのなかで、どちらの利用頻度が高いかと尋ねられれば、おそらく多くの人が前者と答えるのではないか。したがって、目的地までの経路を考える場面では、まず鉄道路線を軸に行き方を組み立てるだろう。だが、歴史は逆だ。都市が形成される過程においては、道路(街道)が圧倒して古い。例えば山手線は、大きな街道と交差するところに駅を設けたのである。国道1号線上に「五反田」駅。同246号線は「渋谷」駅。駒沢通りに「恵比寿」駅、といった具合に。「目白」駅も同様である。現在の目白通りは、かつて「清戸道(きよとみち)」と呼ばれていた街道である。駅名の由来となった「目白不動」は駅から2キロ以上も離れたところにあった。神社仏閣が広く地域の象徴的存在だったとことが窺い知れる由来である。

今年(2015年)、「目白」駅は開業130周年を迎えた。竣工当時は日本鉄道品川線といい、駅は品川、目黒、渋谷、新宿、目白、板橋、赤羽の7つだけ。「池袋」駅より古いと聞けば、なぜかしら意外な気がしないでもない。現在のように橋上に駅舎ができたのは後年になってからである。改札を出て、車やビルが多く目に入るわけでもなく大きな空が広がっている景色は、数ある山手線の駅のなかでも「目白」特有のものだ。

「目白」(豊島区)が付く住所は目白1丁目から5丁目まで。2丁目から5丁目は目白通りの北側に。「学習院」のある1丁目だけが南側に位置する。域内に所在する鉄道駅は「目白」駅のみ。駅前ながら雑踏の感が少ない理由は、前述の建物が低い景観に加え、「学習院」の存在が大きいだろう。都心のなかで、駅徒歩1分の場所に(小学校を除く)幼稚園から大学までがひとところに集まる教育機関は他に例を見ない。敷地が広大であるばかりでなく、豊かな自然が残された風景も特筆すべき点であろう。

山手線内唯一の馬場

自然豊かな「学習院目白キャンパス」構内

学習院が皇族、華族の学校として東京に設立されたのは1876年(明治9年)である。場所は神田錦町であった。その後、虎ノ門や四谷に移転したのち、初等科(小学校)を四ツ谷、中等科(中学校)以上を高田村(現在の目白)に移す。その際、移転先の有力候補に小田原があったという。現在、都心に所在する大学の中には郊外に分散後、再度都心に戻す例が散見されるが、もし小田原移転が実現していたらその沿革や目白の景観はどうなっていただろう。

学習院目白キャンパスは初期の建築物を1900年代初頭に着工。地勢(地形の意)は高台で、敷地南側は崖のように切り下がる。かつてこの斜面は富士山を一望できる絶景のポイントだったようだ。校舎群は駅に近い北側に集約されているため、手付かずの自然がいくつかの重要文化財とともに、今も残されている。厩舎のある馬場などは山手線内側では皇居を除き唯一の存在であるという。