2017年7月13日
第37回
昭和の面影を残す町『根津』
文:荒井直子 撮影:佐藤真美
外国人観光客も多い「谷根千」
不忍通りを一歩入れば猫道のような細い路地が走り、路地にひしめくように小ぶりな一戸建てが立ち並ぶ。玄関先には鉢植えや縁台が並ぶ住宅も多く、ときには玄関の木製扉が開けっ放しという家も。路地にまで住民たちの話し声が響いてくることもめずらしくなく、数十年前までは当たり前のようにあった懐かしい昭和の風景が今なお残っているのが、文京区の根津エリアだ。
近年では、隣接する同区・千駄木と台東区谷中の両エリアとあわせて、“谷根千(やねせん)”とも呼ばれているが、この名称は3エリアを対象に発行されていた地域雑誌『谷中・根津・千駄木』(1984年〜2009年)を地元の商店主たちが略して呼ぶようになってできた名称だそうで、一般的に広まったのはこの十数年だろうか。
根津エリアに懐かしい風景が残っているひとつの要因に、東京都心部にありながらも戦火をまともに受けなかったことが挙げられる。それによるものなのだろうか、大規模な区画整理や再開発が行われることもなく、昔ながらの町がゆっくりと更新されながら今に続いている。
こうした昭和の風景に価値を感じるのは日本人だけではないらしく、近年、谷根千エリアは外国人旅行者も多く訪れる観光地にもなっている。浅草や銀座のように目立った観光施設が多くあるわけではないが、グローバル化で均質になっていく世界中の大都市の暮らしとはひと味違った暮らしを、路地裏をそぞろ歩きしながら楽しんでいるように見える。
このエリアが町歩きを楽しむ人に人気があるもうひとつの理由は、文京区らしい坂の多い地形にもあるだろう。不忍通りを谷底に、西側には本郷台地に向かって弥生坂やS字坂(新坂)、根津裏門坂、東側には台東区谷中にかけて善光寺坂(信濃坂)や三浦坂などがあり、町の風景に奥行きと風情を作り出している。
心地よく感じるスケール感と時間の流れ
前述のとおり、今では谷中・千駄木とひとくくりにされることもあるが、もともとの町の成り立ちとしてはそれぞれ異なっており、谷中は寺町と農村、千駄木は武家町をルーツとしている。それに対し、現在の根津エリアの多くは『根津神社』の門前町だった場所。根津神社は1900年前にできたとされている大変古い社で、日枝神社や神田明神と並び“東京十社”のひとつに数えられている。現在の建物も1706年に建立された歴史あるもので、国の重要文化財にも指定されているほど。こうした長い歴史に加え、東京大学のある本郷エリアにも近いことから、森鴎外や夏目漱石といった文豪の小説にも根津神社はたびたび登場している。また、毎年春に行われる『文京つつじ祭り』には多くの人が詰めかけ、今も昔も根津のシンボルといえる存在だ。いっとき、門前には根津遊郭と呼ばれた花街があった時代もあるが、明治時代に東京大学が開校したことで風紀の面から移転。現在、花街の面影はほとんど見当たらない。
このエリアは東京メトロ千代田線「根津」駅のほか、根津神社付近は同「千駄木」や東京メトロ南北線「東大前」も最寄り駅になり、大手町や霞が関など都心のオフィス街に出るには非常に便利だ。その利便性の高さから近年は不忍通り沿いを中心に小・中規模のマンションも増えている。一方、路地裏にはまだまだ一戸建てが多いが、代替わりをしてモダンな一戸建てが建てられたり、リノベーションをした一軒家を使ったカフェやレストランも増えていて、懐かしさのなかにも現代的な新しい空気がほどよく吹いている。町のサイズ感や道幅はヒューマンスケールで、町の進化のスピードもヒューマンリズム。人が思う居心地の良さは、いつの時代も変わらないものだと実感した。
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