連載コラム 都心*街探訪

2018年4月16日

第46回
“2020年”をキーワードに、さらなる飛躍を目指す『有明』

文:荒井直子 撮影:佐藤真美

都心至近の住宅地に変貌中

有明の高層マンションと東雲運河

隣町・東雲と同様、夜が明ける頃の幻想的な空をあらわす言葉で、東京湾を背にした広大な空の様子からそう命名されたのだろうか。江東区の南端に位置する『有明』は、隣接する豊洲、東雲と並んで現在の湾岸開発の勢いをもっとも感じられる町のひとつ。途切れることなく大規模な超高層マンションが建設され、訪れるごとに町が拡大していく様子が手に取るようにわかる。

こうした急速な町の発展が続くのは、当然のことながら開発がひと段落した古い町では見られないこと。江東区の湾岸エリアにあたる有明・東雲・豊洲・辰巳エリアは、大正末期〜昭和初期にかけて埋め立てられて誕生した比較的新しい町。1923年の関東大震災後、その瓦礫処理事業の一環で埋め立てられたエリアに町が作られていったのだ。もっとも、埋め立てから半世紀以上の間は主に工業地として利用されていた場所で、造船をはじめとした製造業の工場や火力発電所、流通業の倉庫や配送センターが立ち並び、人が住むエリアはごく一部に限られていた。

そのエリアが大きな転換を迎えたのは、1980年代以降。湾岸エリア全体が東京都で7番目の副都心に指定されると、バブル経済の時期に向かっていた時代の勢いとも重なり開発が活発化。まずは1983年に『有明テニスの森公園』、1987年に『有明コロシアム』が完成。続いて、1988年に東京メトロ『豊洲』駅が開業すると、1992年には豊洲センタービルなどのオフィスビルも誕生。さらに、1990年代半ばから続く地価の下落傾向が牽引する形で都心に新築マンションの供給が急増。それに伴い住まいの都心回帰現象が起こり、2000年前後から湾岸エリアにも大規模マンションが多数建てられるようになった。有明には数百戸〜千戸規模の超大規模マンションも出現し、2000年当時、有明の人口は292人、東雲の人口は6887人だったのに対し、2018年1月1日現在、有明は9098人、東雲は2万3678人まで増加。区全体としても1998年以降、一貫して人口増が続いている。こうして湾岸エリアは、職住遊近接の新しいモデルとして確立。埋め立てにより面積がこの130年で3.5倍に拡大した江東区において、有明をはじめとした湾岸エリアの拡大と人口増は区の発展とも密接に関係しているだろう。

オリンピック・パラリンピックの会場も続々建設中

建設中の有明体操競技場

マンション開発が始まった当初はもっとも近い鉄道駅が東京メトロ有楽町線『豊洲』駅で、都心に近いわりにアクセスの課題があった。しかし1995年に東京臨海新交通臨海線(ゆりかもめ)が開通すると、有明エリアに『国際展示場正門』駅と『有明』駅が開業。翌年には東京臨海高速鉄道りんかい線(りんかい線)が開通し、『国際展示場』駅や『東雲』駅が開業。2006年にゆりかもめが『豊洲』駅まで延伸すると、『有明テニスの森』駅、『市場前』駅、『新豊洲』駅も開業し、有明地区の交通アクセスが拡充した。

こうした今現在の急速な発展だけでも注目に値するが、有明が今後も期待される大きな要因が、2020年に開かれる東京オリンピック・パラリンピックの存在だろう。有明エリアを含む東京湾岸地区は、“東京ベイゾーン”といわれるメイン会場のひとつ。世界各国から選手、観戦客、観光客が集まるこの祭典に向け、まさに今、有明の地は建設ラッシュが続いている。オリンピックのバレーボール、パラリンピックの車いすバスケットボールの会場となる『有明アリーナ』や、オリンピックの体操やパラリンピックのボッチャの会場となる『有明体操競技場』はまさに今、建設の真っ最中。さらに、その近くでは2020年に合わせて客船ターミナルや店舗・ホテルなどの複合施設も計画されている。広大な敷地の各所で着々と工事が進む様子をみると、まだ2020年大会に実感の湧かない人でも期待感が膨らむとともに、有明エリアの将来の姿にまで思いをはせることになるだろう。

新しく発展する町は何かと先進的な試みも多くみられ、有明エリアには2018年4月に区内初の小中一貫教育を行う『有明西学園』が開校。英語教育に力を入れるなど、時代に即した最先端の教育を導入していく予定だという。人口増加に伴い教育施設も増え、こうした公立校はもちろん、私立の中学校・高校や大学も続々と移転。成熟したといわれる東京都心で今、もっとも勢いを感じる町といっても過言ではないだろう。