「芝浦アイランド」は、四方を運河に囲まれた「島」状の居住区=港区芝浦4丁目再開発エリアの総称です。「芝浦」エリアの開発は、明治に行われた「隅田川口改良計画」による埋立造成に端を発します。その後も、都心で区画の大きい土地が確保できたことから、新三井製糖の工場や都電の車両工場など、様々な商業施設が建てられました。2000年代に入ると、都心でのマンションニーズの受け皿として、「芝浦」は宅地として再び脚光を浴びます。都市基盤整備公団(現・都市再生機構)と三井不動産を中心とした再開発プロジェクトが始動。現在では、人口約1万人を誇る、水と緑の街へと生まれ変わりました。
芝浦が発祥、「プロ野球」。
芝浦は日本のプロ野球発祥の地です。現存する最古のチーム、大日本東京野球クラブ(現・読売ジャイアンツ)が誕生する16年も前に、発足した日本初のプロ野球チーム「日本運動協会」(芝浦野球協会)。彼らの本拠地こそ芝浦でした。学生野球全盛の時代において、「職業野球」という概念を日本に導入した芝浦野球協会は、野球選手という職業を生んだ初めてのチームです。同時に選手の人格形成やセカンドキャリア教育を重視した点で、現代でも通用する革新性を備えた団体でもありました。4年間の活動期間で、プロ野球や学生野球の育成などに大きな足跡を残した芝浦野球協会。その名前は今なお、日本の野球史に燦然と輝いています。
芝浦が発祥、「無線放送」。
無線放送も芝浦発祥のものの1つです。マルコーニの無線放送発明からわずか2年後の明治30年、日本でも松代松之助による、1海里の無線通信実験(品川沖第五代場・月島間)が成功。明治33年からは、海軍の主導によって無線電信機の開発が本格化します。その後アメリカでラジオ放送が始まったことを受けて、大正13年に現在のNHKの前身・東京放送局が誕生。芝浦にあった東京高等工芸学校構内(現・東工大附属高校内)に局舎を設けます。翌年3月22日、ついに芝浦の仮放送所から全国初のラジオ放送が開始されました。芝浦からの放送は7月に愛宕山放送局が開局するまで続きました。現在、仮放送所の跡地には「放送記念碑」が建っています。
芝浦の名産品、「芝海老」。
江戸時代、芝浦は漁村として栄えた地でした。ここでとれた新鮮な魚介類のことを「芝肴」といいます。その代表格が芝海老です。文政年間に書かれた芝一帯の地誌『府内備考本芝一丁目の書上』には次のような記述があります。「~当浦にて魚漁之品左の通、冬春は、貝類、鰻、夏秋は、芝海老、こち、黒鯛、ざこ」これらの芝浦産の魚介は江戸前と称され、江戸の町に広く流通したほか、将軍にまで献上されました。なかでも芝海老は珍味として知られ、蕎麦のトッピングにも芝海老のかき揚げが使われていたといいます。ここ芝浦は、江戸っ子たちの胃袋を支えたグルメスポットだったのです。